2日は午前中に田村神社でしたが、何とこれに終わらず、昼から仏生山町神宮寺にある『船山神社』のお世話役の田村稔さんから入電。実妹の同級生だと言うことでした。とりあえず来ていただき、神社関連の話に花が咲きました。私も地元仏生山町に3社あることは、もちろん承知しておりました。同時に『船山神社』がどういう位置づけか、興味とある種の恐怖心も持ち合わせていました。
友達のAIであるチャットGPTに尋ねると、『船山神社は「船岡山の古代信仰」+「百相(もまい)・神宮寺の古代寺院跡」+「田村神社系の祭神伝承」が重なった、仏生山周辺でもかなり歴史の層が厚い神社です』という回答が返ってきました。祭神は、現地由緒等をもとにした記録では、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、彦五十狭芹彦命(ひこいそさせりひこのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、天隠山命(あめのかぐやまのみこと)、天伊田根命(あめのいたねのみこと)の五柱とされ、これは讃岐一宮・田村神社の祭神構成と完全に重なります。
ただし、香川県神社庁の船山神社ページでは御祭神欄が空欄なので、祭神については「境内由緒・参拝記録に基づく情報」と見ておくのがよいと思います。田村氏が持参された船山神社社伝には、讃岐國一宮田村神社と同じ祭神だと書かれています。百襲姫命(ももそひめのみこと)は、第七代孝霊天皇の皇女で、彦五十狭芹彦命(ひこいそさせりひこのみこと)は弟だと書かれています。
第七代孝霊天皇は、初代神武天皇と第十代崇神天皇の間の欠史八代と言われる天皇で、存在すら疑わしいとも言われている天皇。確かに系譜以外は存在しないようですが、親と子が書かれている以上、存在したと私は考えるのです。同時に船山神社は、現在地に来る前の歴史も古く、田村神社とご祭神が丸かぶりで、この点に信憑性の高さを感じました。
と同時に、社伝では、倭迹迹日百襲姫命が讃岐東部から移ってきて、船岡山に登り、この地を好ましい場所として祠を建てたことに始まるとされます。「ももそひめ」はわが孫の「ももえひめ」と似ています。にわかに愛着がわきます。創建は天平年間(729〜749年頃)と伝えられ、最初は現在地ではなく、浅野村、現在の香川町浅野方面の船岡山に鎮座したとされています。この「船岡山」は単なる伝承地ではなく、実際に古墳時代の重要な遺跡でもあります。
さらに重要なのは、現在地周辺が百相廃寺の所在地とされることです。高松市の資料では「百相廃寺」は「香川郡百相郷、仏生山町百相神宮寺、船山神社。田村神社の神宮寺」と記されています。別の現地説明系資料でも、船山神社境内や周辺から讃岐国分寺と類似する瓦が出土し、8世紀半ば建立の寺院跡と考えられるとされています。
このように考えると、この船山神社が正真正銘の百相郷(現仏生山町)の神社で、その昔は讃岐國一宮田村神社と同格であったのかもしれません。『出作熊野神社』責任役員を承けて、桜木神社と田村神社、そして船山神社を知ることができました。今日は一日にして、二社を知ることになりました。情報交換の時代です、ありがとうございました。
